TABOO ~同性愛・ホモセクシャルと日本文化

タブー。絶対的に犯してはいけない事柄。
禁忌とされることは時代や地域によって本当に様々です。

というのも、タブーというのは広い意味での文化的な行動基準なので、文化が変わればそれに伴ってタブーの内容も変わるんです。

私たちが何気なく行っている動作も、 実は昔の日本ではタブーだった。逆に今の日本社会で嫌がられていることでも、
外国では何の問題もなかったりする。面白いですよね~。一つの社会で生きているとその中でのタブーにしばられてしまうけれど、広い視点で見れば禁忌は絶対的なものじゃないんです。

こうしたことを知って、これはダメ、こうじゃなきゃいけないっていう枠にとらわれることなく、性の世界を見ていくきっかけになれば…そういう思いでこのコラムを書かせて頂きます!
皆さまにお楽しみいただければ幸いです。

まず第一回目で取り上げるタブーは同性愛です。主にホモセクシュアルについてですね。
世界的に様々な例があって第一回では書ききれないので、身近なところで日本にしぼって紹介したいと思います。

以前テレビ番組でマツコ・デラックスさんが「最近ゲイが増えた」とおっしゃっていました。といっても文字通りゲイの人々の人口が増えたわけじゃなく、今まで隠していたのが最近の開けた環境に伴って、表だってゲイとして暮らしていく人が増えたからだと。
まだまだホモセクシュアルに対して理解がない人々も沢山います。でも数十年前の日本社会から見れば、驚くべき進歩ですよね。私のゲイの友人も堂々と人生を謳歌している感じでその性の充実ぶりは羨ましくなっちゃうほどです。

アウトローという認識をされてる同性愛だけど、驚くことに、女性との愛よりも崇高で、むしろそっちの方がいいとされていた日本文化もあるんです!

それは……お侍の社会です。

織田信長が小姓の森蘭丸を深く愛していた話は有名ですよね。戦国時代や、もっとさかのぼって中世の頃から日本独特の男色の文化は存在していました。

武士だけじゃなくお坊さんも、女性と交わることが禁止されてたために、男色が公然と行われていたんです。女性がダメなら男性相手に…結局性欲は止められないってことがわかりますね(笑)特に江戸時代は男色が町人の間にも広がって、衆道風俗が盛んでした。
あの三代将軍の徳川家光も男色家として有名だったんですが、彼は自分が攻められる方を好んでいたので、周囲に嫌がられていたんです。男色そのものはよくても、どっちの役をこなすかで批判されてしまう!!

というのも、日本の男色は性的な能動・受動と権力や年齢の上下関係が結びついていたので、権力者は性的にも能動的だっていうのは暗黙の了解になっていたんです。だからその関係が逆転してしまうのはまずいとされていたとのこと。
日本では女性蔑視の考え方から、権力者は男色の方が奨励されていたとさえ言えるんです。失礼しちゃいますよね!

でも、それが明治を迎えてキリスト教圏である欧米の価値観が取り入れられると、状況がガラッと変わります。
キリスト教の教えでは、生殖の目的以外に精液を体外に出すことは禁忌とされていたんです。それで男色も厳しく禁止されていました。
明治5年には男性同士の肛門性交を犯罪とする「鶏姦律条例」というのが発令されました。でもその後発令された刑法ではこのような規定はなくなって、現代日本においても同性愛は犯罪とは定義されていません。
しかし男色をタブーとする欧米の文化に影響を受けて、日本の文化も全然違うものに変わっていったんです。

明治の文明開化と共に外国の文化との交流を経て、一つの文化が大きく変化していく。そしてタブーじゃなかったものがタブーになり、その逆のパターンも起きたわけです。

タブーは社会を統治するために権力者が意図的に作り上げるものでもあります。そのためになかなか自分の本質的な性を表わせない場合が多いのではないでしょうか。

今また性の文化は大きく変わっていっています。私たちはその波に飲み込まれることなく、落ち着いて、好奇心をもって
自分のオリジナルの性を楽しんでいきたいものですよね!

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