KAORU sta ~vol.3 ぶっかけの世界に“愛”は存在しない。
ブラウン管の前には一人のきれいな女が座っている
その廻りをオトコ達が囲み、男性器をしごき、順番にきれいな女の顔に精液をかけていく。
女の顔は最後には精液まみれになり、表情すら見えなくなってる。
通称「ぶっかけ」。沢山の「汁男優」と呼ばれるオトコ達が綺麗なAV女優の顔に精液をぶっかけていく事からそんな名前で呼ばれている。
あたしは不思議でしょうがない。なぜぶっかけが流行っているこの国は病んでいると「朝まで生テレビ」で話しあわないのだろうか?
「千と千尋」を制作した宮崎監督が名前を取られるという行為はその人の存在を消し去ることの象徴である、というような事を言っていたのを思い出す。
顔もそうではないだろうか?顔に泥を塗る。そんな言葉があるように、顔は存在証明でもある。
綺麗な若い女の顔を沢山の男達が精液で汚していく。そのことに興奮する。そんな心は健康なのか?
もし女性向けぶっかけが流行るようになったら LOVELYPOPを閉店しようと思っている。
綺麗な若いオトコが座っている。その廻りを女達が囲み下半身を剥き出しにして自慰をしはじめる。女性器から通称「潮」とよばれる液体がではじめ、若いきれいな男性の顔にぶっかける。そんなビデオが発売され、その映像で女達が自慰を始めるようになったら、あたしが描いている理想のセックスや愛のある自慰はもう存在しない。
ぶっかけを見て一番傷ついているのは、本当は“ぶっかけ”ている男やそのビデオを見ている男達なのではないだろうか?
なぜなら他者を傷つけることによって愛を確認するという行為は、結局のところ自分をも深く傷つけていることになるから。
「ぶっかけ」。
あたしはその響きを聞くだけで泣きたくなる。ぶっかけビデオの世界に“愛”は存在しない。
ちつ☆トレ 荻原かおる(著)
発行 :マガジンハウス
価格:¥1,296(税込)