Midnight Talk ~vol.23 愛の基準

 

アナタが愛されているのか否かを判断する基準は明解にある。
お金をどれだけ多くアナタのために使ったかではない。あなたと逢うためにどれだけ重要な他の約束を反故にしてきたかでもない。もっと単純で価値のあること、、時に命と同じ意味を持つモノで、失っても買い戻すことができず、交換も不可能なもの、それは「時間」だ。

「空間」が物理活動に制限を与えているように、「時間」は精神活動に制限を与えている。時間をかけずに、アナタへの思いを募らせることはできない。つまり、時間とアナタへの思いは比例する。

結婚が重要視されるのは、社会的、経済的な部分ばかりだが、その本質は、時間の独占的な使用権を相手に委ねる、、ということだ。それは「死がふたりを分かつ時まで」続く約束だ。

愛情もそうだが、人の感情は、時間をかけることによって表現されることが多い。
感謝や尊敬の気持ちを言葉にするときも、わざと面倒な書き方をさせ、時間をかけさせることによって表現させる。その修辞法を学ぶために膨大な時間をかける場合すらある。

子供への愛情も同じだ。エリートの家庭で時々起こる「家庭内暴力にまつわる事件」などの大半は、親の世間基準の価値判断に翻弄された幼少期を過ごした
少年少女が起こしているが、そこに絶対的に足りないものは、その子供たちにかけた時間だ。そんな親は、たいがい愛情をかけることとお金をかけることを混同している。

昔は、時間などかけてもらわなかった、と仰る人も多いだろう。兄弟も多く、高度経済成長期にがむしゃらに働いているのが当時の親の姿だったし、、、。しかし、大部屋で兄弟が寝るような個人のプライバシーも(良い意味で)なかった時代なので、現実には、いっしょの時間を過ごしている時間はかなり多かったと言える。

「時間の量×時間の質=愛情の大きさ」といえるのも事実だ。ただ、質って言うのは、お金を意味しない。知力、感情、スキンシップなどを言う。喧嘩したり、セックスしたり、たまに意見の対立があったり、違いを確かめたり、Hugしたり、泣いたり、笑ったり、、、。

残念なことに、この部分は、テレビゲームなどに象徴されるVisual文化の世代では、かなり苦手な分野になってしまった。

それらのことを考えると、「時間の量」がやっぱり重要になる。量と質、どちらも重要ってわけではなく、まず「絶対量が必要」なのだ。場数の多さや時間をかけた接触機会がなければ、質を洗練することすらできないのだ。

男性は、言い訳する。時間は取れなかったけど、これだけお金をかけたよ、とか、、、。仕事が忙しくて、、とか、、。それでもアナタは、その彼が、アナタのためにどれだけの時間の量を用意できるか、注目しなくてはならない。

「愛は惜しみなく限りなく与えるもの」なのだ。

 

 

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