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MANTARA

ちょっぴりエキセントリックな精神科医が綴るセックスのこと、セックスに関係するお話し。

性欲談義

以前アメリカ国籍の方とお付き合いしていたことがある。
そのとき、本やテレビなどのメディアを通さない、市井のアメリカ若者セックス事情を直接聞くことができた。
ここから先は、私がそう感じたという話であることを念のため先に断っておきましょう。

さて、彼の話から判断するに、どうもアメリカの思春期若者は、日本人と比較して(少なくとも私の時代の思春期若者と比較して)
「セックスはスポーツ、気晴らし」という感覚が強いように思えた。彼のどの友達の話も、事後に語られるのは

「はあ、スッキリしたあ〜!」

という身体の爽快感や遊び感覚であった。 情緒的な体験への言及は前面に出てこなかった。
だから、異性関係が交錯しているにも関わらず、揉め事が起きることもなかったようだ。
それから「セックスは単なる欲求である」という感覚も強いようだった。喉が渇いたなら水を飲めば、ハイ解決、といったように
捉え方がとてもシンプルなのだった。 10代、20代は性欲が高い時期であるから、それだけ性的活動も活発である。
毎日食事をするように、毎日トイレに行くように、だからセックスも毎日して当然と考えている。

そう、要するに、ただそれだけなのである。
動物と同じような生物学的側面から人間を見るならば、欲求が欲求そのものとして満たされさえすれば複雑な出来事は何も起こらない。
すんだら終わり、である。 ところが人間には、少しばかり複雑なオプションがくっついている。社会常識だとか、概念だとか、情緒だとか。

たとえば、日本にいる若い日本人女性を想定して考えてみよう。
日本では、一般の若い女性が、そして良家の子女度が高いほど、直接的に性欲をあらわにするのはタブーだという暗黙の常識がある。
この女性がある男性に性欲を感じたとする。端的に言うと「この人とセックスしたい」ということだ。 けれど前述のような暗黙の社会常識の只中では、 「性欲=社会的タブーを犯しかねないリスキーな願望」であると認識されてしまう。
「もしも欲求をあからさまにすれば、そんな欲求を持つオマエは社会的に非常識、眉をひそめられる存在となってしまうぞ」
つまり「世間のはずれ者になるぞ」というリスクである。

女性も「そんな欲求をもつべきではない」「持つのは恥ずかしいこと」等という概念にとらわれている。
性欲はただの性欲にしか過ぎない。 けれど社会、常識という文脈が変われば、性欲は危険物とみなされることがある。リスクなどと言うと少々大げさではあるけれど、社会通念や固定概念に伴って、いろいろな感情やトラブルが出てくることだけは確かだ。

さて、この後この女性にはどんなことが起きてくるのだろうか。
この続きはまた次回のお楽しみ。



Stanley

二階堂ターラ

精神科医。エッセンスリーダー。 上智大学心理学科卒業後、精神科医師をめざす。 大学病院での研修・研究・臨床・学生指導、大手企業数社で、産業精神科医としてメンタル教育・診療、 地域での看護学校講師を経て、 現在は副院長として単科精神病院に勤務し、地域医療に貢献している。 代替医療としてヒーリング、エネルギーワーク、ヒプノセラピーなどを診療に取り入れつつ、 最近では知識と経験に基づく直感法を用いたエッセンスリーディングを行い、全人的な癒し、幸福に導くために貢献している。


TAGS: 恋愛とセックス


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