ラブリーポップ公式マガジン

恋するばいた

そのどっちもが、マリ子の本当の日常でした。 プチ小説

甘いシャンパン

 

「会いたいの」

 Uさんとは月に1、2度くらいのペースで会ってたけど、あたしから誘うのは初めてだった。Uさんは何も聞かずに翌日会うと約束してくれた。

 それからの1日は長かった。手近なクラブへ入って酒を飲み、タバコを吸い、声を掛けてくるすべての人に愛想良く応じた。気安くなった男の子を誘いホテルに入った。疲れた体を他人のぬくもりでくるんでなんとか眠り、彼の愛撫で目を覚まし、また眠り、遅めの朝街へ出た。店へ電話し、客を取った。ひとり2時間、合計4人の客を取った。1日の仕事量としては、人数も金額も最高記録だった。

 最後の客は、悪くなかった。

「まりこはこんなに綺麗なんだから、不特定多数の男と会うなんていうのは止めたほうがいな。女性の体は繊細なんだから。その分ワタシと会えばいい。まりこをもっといい女にしてあげるよ」

 シャワーの音を聞きながらセブンスターに火を点ける。煙草の先から細く登る白い筋を、吐く煙で揺らしてみる。美しい筋はあっけなく乱れる。

「ねえ、本当にまだまりこがほかの男と会ってないなら、ワタシがまりこのたったひとりの男になれないかな」

 男の言葉を映して、あたしはまだ誰にもからだを売ってない、慣れてない、でもサバけた都会的な女になる。そんな女いるわけない、という自嘲の笑みが、男の目には魅惑的に映る。所有欲をかき立てる。

「これからたくさんの男とこんなふうに体を重ねるつもり? もっと自分を大切にしなきゃ」

 煙草の先から新しい煙が青白い筋を作りはじめる。あたしはもう、たくさんのたくさんの男とこんなふうに体を重ねた。いったい何人の男と?週に10人として月に40人、1年で……。数えながら、あたしは思いついたように一大決心をしていた。この仕事を辞めよう。

 火を消し、肉体を起こしてバスルームに向かった。男はあとからついてきて、湯につかり、あたしをまさぐった。白髪交じりの陰毛と胸毛がゆらゆらと膨張して見えた。あたしは肉体をあずけた。乳房を弄られるまま、太股を撫でられるまま。と、バスタブは唸りを上げて勢いよく気泡を送り、波打つ水面が赤く色付いた。クリトリスと乳首を指先で、やさしく撫でられ転がされ、あたしは息を吐き、上り詰め、静かに果てた。……かのように見せかけた。

 バブルが止まと、湯の中に赤い光を反射させる肉体が浮かび上がった。

「バラの花びらみたい。」
「ん?」
「あたしの肌、バラの花びらみたい。キレイ」

 この男は「まりこ」の無軌道な感性を、脂がたっぷり載ったぶよぶよの手のひらに収めたがってる。あたしはただ男の願望の鏡になるだけ。簡単な作業だ。

 男はひとときのうかつな幻想に7万円を払った。あたしは、2時間程度の簡単な作業で7万円を稼いだ。卒業のはなむけには上出来だ。

 男と別れてすぐ、店に電話で辞めると伝えた。理由を聞かれて口ごもると、電話係のおねえさんは「疲れたときは、とにかく寝るのが一番よ。みんな忘れて寝ちゃいなさい。こっちからは電話しないから。いつでも待ってるから」と言った。ありがちな毒牙だ。それでも胸が詰まった。言葉には真心があった。悲しみしか生まないやさしさだった。あたしは急いで電話を切り、電柱に顔を隠して嗚咽しながら泣いた。気を緩め、電柱に甘えた。

 仕事を辞めたと伝えるとUさんは、高級ホテルのジュニアスイートを取って卒業を祝ってくれた。シャンパングラスの底に東京の夜景が映って、美しくて、きれいで、やっぱり胸が詰まった。Uさんはあたしのからだに触れず、甘いシャンパンを1本一緒に空けてから、タクシーでうちまで送ってくれた。初めてお金をもらわなかった。

 どうしてこんなに分かるんだろう。この人はすごい。この人はすごい。シャンパングラスの夜景くらいすごい。あたしもこんなふうになりたい。できることなら今夜は一緒にいてほしかった。友達になってこれからも支えてほしかった。でもそれは間違いだ。そういう逡巡も全部、この人は分かっていただろう。この人のやさしさを無駄にしないために、今夜はひとりで眠ろうと思った。眠れなかったら、今日感じたたくさんのやさしさを思い返して泣けばいい。

 別れ際、あたしはUさんに「ありがとう」を心を込めて丁寧に言った。久しぶりに穏やかな気分だった。




Stanley

小菅由美子

★1977年生まれ。 愛知県出身。日本大学芸術学部文芸学科卒。


TAGS: 恋愛とセックス


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