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恋するばいた

そのどっちもが、マリ子の本当の日常でした。 プチ小説・毎月25日更新

からっぽの買い物かご

 

スーパーで道男の好きなほうれん草を手にとって気付いた。最近あたしは行動の原理をなにもかも、道男に委ねている。頭の中にいつも道男がいて、考えごとは気づくと話しかけ調になってる。スーパーでは道男が食べる顔を想像するし、洋服屋さんの試着室では道男の視線を意識する。一人でテレビを見るときでさえ道男が好きそうなのを見る。仕事をしていても道男はいる。フェラチオの時は最初からきちんとゴムを付けるし、爪の伸びた指を入れられた時は嫌な顔を見せず、恥じらい深くイヤイヤをする。たまに仕事が甘くなってうしろめたいのは、自分に対してじゃなくて道男との約束のせいだ。

あれは夏の最後の、蒸し暑い夜だった。

「あたしもやっていい?」

 あたしは道男の体重を受け止めながら訊いた。胸に汗がたまっているのが分かった。虫の声が小さく聞こえた。週末で、あたしは開放感に充ちていた。道男はセックスが終わっても仕事モードの頭を切り替えられないでいるようだった。なにを、と訊き返す声がそんな声だった。

「道がたまにお金で誰かを買うみたいに、あたしもお金でからだを売ってみたい。教習所も終わったし、仕事の手伝いもできることなくなっちゃったし。ヒマだし。」
「仕事は?」
「辞めないけど別に辞めてもいいよ。それよりからだ売ってみたい。だめ?」

道男の瞳孔が暗闇のなかでやさしく仄めいた。それは世のなかの陰も陽も呑み込んでいた。吸い込まれそうになる。ブラックホールみたい。

「マリ子がほんとにやりたいならやりなよ。」
「うん。」
「でもちゃんとやってね、仕事として。」
「はい。」

 その日の昼間、パソコンをカチャカチャいじって道男に頼まれた仕事をしながら、あたしの人生なんておもちゃみたいなごっこみたいなもんだなと思ってた。人生ごっこ、あたしごっこ。この部屋はひとりでいるには空気が濃すぎる。自分がとてもうすいから、部屋が皮膚から浸透してきそうになる。みんなちゃんとそこにあって、道男は出かけていてもちゃんとこの部屋にいるのに、あたしだけ、いないみたい。

 からだを売ってみたいという提案が彼のブラックホールに呑み込まれたのをよしとして、あたしは翌日から本当にからだを売りはじめた。

道男に名前で呼ばれたの、あれっきりかも。でもほんとにあたしがやりたかったのか、今は分からない。会社を辞めて空いた時間、てきとーにからだを売って、早く帰って道男の好きなご飯を作る。あたしは何がしたかったのかな。ほんとは、道男がだれかを買ってることやあたしとはあまりセックスしてくれないことが、悲しかったんじゃないかな。悲しかったのかな、……涙。今も悲しいのかな。

あ、先月の家賃、まだ振り込んでないんだ。明日も仕事しなきゃ。ほうれん草は高いからやめよう。





Stanley

小菅由美子

★1977年生まれ。
愛知県出身。日本大学芸術学部文芸学科卒。
mixiもやってます。
★ホームページはこちら→らららん。


TAGS: 恋愛とセックス


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