
第6回 サラリ感でわかること
ニューヨークのアダルトショップに行く機会があった。
ラブリーポップのかおるちゃんと一緒に行ったから、が理由である。派手な色彩のグッズが並び、ショップスタッフは、全員女性、カワイイ揃いの制服。爽やかな笑顔で気さくに話しかけてくる。
さて、店には、60歳はゆうに越えただろうご夫婦の客が、商品を物色していた。
「今晩のオカズ(笑)はビーフ? あら、チキンも新鮮そうよ、アナタどう?」
スーパーに食材を買いに来て相談しあう古夫婦のようにボソボソと、話し合っている。時々スタッフに尋ね商品説明を聞いたりしながら。日常的雰囲気で、ごく自然に。もちろんここは食料品スーパーではなく、アダルトショップ。物色しているのはアダルトグッズである。私が「へえ〜」とちょっぴり驚いたのは、彼らの年代、彼らが夫婦であること、そして日常的にサラリとその状況があったことの三重奏。裏を返せば、「サラリと日常的雰囲気でアダルトグッズを物色する、高齢夫婦は珍しい。」という、‘無意識の思い込み(私の常識)’があったとも言える。
先日「アニーリーボヴィッツ レンズの向こうの人生」という映画を観た。
アニーリーボヴィッツは、女流写真家でそのドキュメンタリー映画である。
映画の中で、「アニーのパートナーは女性であり」、「アニーは50歳になって子供を持ったこと」が、まるで「今朝はコーヒーを飲んだのよ」というぐらい、やはりサラリと語られる。私は再び、「へえ〜」と軽く面食らう。裏を返せば、「女性のパートナーは男性」「高齢で子供は持たない」という、‘無意識の思い込み(私の常識)’があったとも言える。
高齢者がセックスを楽しむ、同性愛、高齢で子供を持つ、等々。
いずれに対しても、嫌悪感、批判はない。しかし、面食らったことで、
‘無意識の思い込み’=私の常識範囲内にはなかったのだと直面させられた。
おかげで、偏見と先入観は、似て非なるとわかったけれども。偏見は、「それはオカシイ」「間違っている」という批判や、嫌悪感を含む。先入観は、無意識に思い込んでいる自分の常識、と言える。しかし、この無意識の思い込みは、持っているほうにそのつもりはなくても、マイノリティの方たちをいたく傷つけてしまうこともあるのだろう。話題がデリケートな場合、特に。たとえばセクシャリティとか。
その人にとって当然の観念すなわち常識であれば、「日常的にサラリと存在」し、
「サラリと語られる」ことになるのでしょう。「今朝はコーヒー飲んだのよ」のように、
「今日は天気が良いわね」のように。自分のありようや言葉が、「サラリ」でなければ、自身がこだわりを持っているのかもしれない。
サラリ感を目の当たりにして、初めて自分の‘無意識の思い込み’に気づく。
あなたの、‘無意識の思い込み’は何でしょう?

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