第5回  老いとエロス

なんだか気になって映画「ヴィーナス」を観に行った。往年の名優ピーター・オトゥール扮する老人が若い娘に恋をするというストーリーである。

「アラビアのロレンス」で高名な俳優が主演でもあり、また「ヴィーナス」という題名からも、高齢をむしろ円熟した魅力として逆手にとって、デカダンでありつつどこか高尚で豪奢な展開が繰り広げられるのではないかと期待していた。

ところが、のっけから、老いをネタにした自嘲ギャグの応酬。たとえば、老人二人で「あれ、メガネがないぞ?」「おい、おまえ、右手に持っているじゃあないか」といったような。いまどき、志村けんのバカ殿でもそんなこと言わないぞ・・・。いけない。これでは、オヤジ(正しくはジジイ)ギャグコメディーになってしまう・・・と心が薄ら寒くなってきた。

それでもヴィーナスなる娘が登場すれば、きっと華々しい局面が訪れるに違いない。ところが、現れたヴィーナスと目される娘。 Rude・・・・。とにかく粗野で無作法で荒々しい。これがヴィーナス?・・・愕然とする。そのうえ、ピーター扮する老人モーリスは、このヴィーナスにさんざっぱら、ひどい仕打ちを受ける。「クソジジイ!!」と罵倒され、金づるにされ、「ジジイ臭い」と加齢臭を侮蔑され・・・。あげくに息が止まるほどの「エルボー」をくらったり、突き飛ばされる始末。今度は老人虐待のドキュメンタリーかと思う様相を呈してきた。どんなに蔑まれても、娘を可愛がり、くっついて回るその老人が、ただのエロじいさんにしか見えなくもなってきた。

どちらにしても期待していた展開とはまるで違う。こんな調子がかなり最後のほうまで続くのである。あるエピソードから急に展開が変わり(映画を観たい方のために詳細は伏せておきましょう)映画は思いのほかあっさりと終わる。

エンドロールが出だしたら、思わずふいに涙があふれ出した。しみじみと。そう、愛ってこういうことなのだ。

激しいとは限らない。じんわりとした暖かさ。年をとってエロスがこういう昇華を遂げれば美しい。もちろん、老人モーリスは、若い女性にエロスを求めていた。若いときなら、ただのエロスで終わっていたのかもしれない。今まで遍歴した女性たちへの償いなのかもしれない。いつまでも女性を追い続ける悲しくも浅はかな男の性なのかもしれない。身体を媒介としにくい老人になれば、むしろエロスと愛との相互変換は高齢になるほど自由なのかもしれない。

老人であるが故、容易に人類愛的な愛へと発展させられるのかもしれない。しかし、その人類愛的愛、生きる生と性への隠すことのないまっすぐな姿勢が、人の心を開き、人の心に残っていくものだということを、この映画は語っている。そして、それこそが年を積み重ねていく役目だということも。エイジングで重要なのは、シミをとったり、シワを伸ばすことだけじゃないのね。


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