
第六回・「ラ・プチッ・モール」
手の平にすっぽりと収まるような小さな箱だが、精緻な紋様が刻まれたいかにも高級そうな造りになっていたりする、中にはさぞかし値打ちのあるものが入っているに違いない。ちょっぴりドキドキしながら蓋を開ける、と中には華麗な装飾が施された一回り小さな箱が納められている。肩透かしをくらったような気分が立ち上がるが、こんなに上等そうな箱が二重になっているなんて、きっと中の物は・・・・・ちょっとした不安と期待とが入り混じった複雑な気分で二つ目の小箱を開ける。すると中には小箱。その小箱の中にも小箱が・・・・・、入れ子細工になっている、というユーモラスな玩具です。
私は、人を著すのに三種の文字を使い分けています。「人間」、元来「じんかん」と読まれて、「人間至るところ青山あり」というように使われています。中国では「世間・社会」を意味し、日本に伝来していつの間にか人という意味になったようです。人の間、要するに、『世間のしがらみの中で生きているわたし』です。「人」、学術用語では「自然人としての人」と定義されていますが、やわらかな表現に直せば、『素のわたし』です。「ヒト」、生物種の一種としての人、『動物としてのわたし』です。
『人ー素のわたし』の中に『ヒトー動物としてのわたし』が内包されています。『動物としてのわたし』を内包した『素のわたし』は、『人間ー世間のしがらみの中で生きているわたし』の中に閉じ込められています。わたしは、『人間』という箱の中のもうひとつの小箱に閉じ込められた『人』、その小箱の中に入っている更に小さな箱の中に、『ヒト』がひっそりと納まっている。わたしも実は入れ子になっている。
「私は時々、互いに職業も名前も価値観も考え方もまったく知らず、知る可能性も無い男性と性関係だけ持ちたい、と思うことがある」 女性からこんな独白を聞かされると、男なら誰しもどきっとするにちがいない。それで、、と後に続く言葉を聞いてみたくなります。 「なぜ自分がそういう願望を持つのか、わかっている。社会性を脱ぎたいと思っているからである。<私>をやめたい、ただの生き物になりたい、大自然の中に溶けて入ってしまいたい、からである。これは言葉を変えれば<死にたい>というのと同じだ」
いやはや、まいった。これほどせつない女性の性的願望を直裁に聞いたことはない。みだらが怜悧な知性に包まれて、なお一層みだらをかきたてる。
人間をやめたい、性のマグマの震源であるヒトを内包する素のわたし、になりたい。私はそのように読んだ。<死にたい>という呟きは生物学上の死ではなく、「社会性を脱ぎたい」の切実な言葉が投げかける意味は、世間(人間)からの忘我=死に違いない。
性の営みの際に世間を纏っていたら<素のわたし>は埋没するしかない。<人間>をやめれば、ただの生き物として存在するだけ。生き物は大自然と融合して命を営む。<人間>を滅して相手と共に大自然の中に溶けて入ってイク。融合の深みから湧きおこる恍惚、<人間>を喪失する不安。太宰 治ではないが、恍惚と不安、我にあり。
オーガズムを迎えるとき女性が「イク!」と口走るのは、<人間>をやめ、生き物として相手と融合できた恍惚と、<人間>を喪失する不安から無意識に発するのだろうか。 「これは言葉を変えれば<死にたい>というのと同じだ」
そういえばオーガズムのことを、かの国フランスの詩では「ラ・プチッ・モール(小さな死)」と表現している。「イク」の響きにこめられている感じがなんとなく分かるような気がする。それにしても、女性の性の深淵に、男の私は羨ましさに、ただただため息するばかりだ。
『江戸の恋ー「粋」と「艶気」に生きる』(集英社新書)の著者 田中優子さんの、粋で艶っぽい独白にすっかり刺激されてしまった。田中優子さんの極めつけの言葉をこの稿の最後にご紹介します。
「浮気、浮世・・・浮いているものに自分をゆだねる。ただし、そういう自分をもうひとりの自分がちょっとからかいながら見ている。切ないならばそれもいい。夢が覚めたらそれもまあ、しかたがない。固くてひんやりした地面も、なかなかいいものだ。」

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