
第四回・「筋武装からの開放」
セックスは皮膚接触である、という単純な事実を強調したい意味は、二つあります。 第一に、情報源は互いの皮膚にあって、アダルトビデオや主婦雑誌の別冊やセックス実用書などの外の情報にあるのではない、ということです。アダルトビデオの中にも美しいものもあれば、ひたすら女性を貶めた愚劣なものもあります。もちろんそれらは、人びとの美意識と、病んだ性の治癒の進行によって選別されるべきものです。しかし、外に求める情報過剰はまた、実際にセックスをしても、相手の皮膚から学び、接触を楽しむことができず、たえず何か別のイメージに捕らえられ、お互いに相手を利用したマスターベーションをしているかのような自閉的セックスになりがちです。当然に、一人では得られない快感を共同して創造していく歓びはそこにはなく、つねに欲求不満が残ることになります。強いセックス、のぼりつめるセックスという強迫観念が、皮膚接触の原点を見失わせてしまっているのです。
第二に、セックスを「ふたりくつろぎ」の地続きとして考えたいのです。いいセックスをした、と実感できるのは、パートナーのからだの未知の可能性を知り、自分のからだの未知の領域を知ることができた時でしょう。互いに広がりと深まりがある時に、本当の生命の根源の泉からの共振共鳴が生じ、同時にエロティシズムの地平は著しく拡大します。ふれあいによる自己拡張は、新たな自己の発見でもあるのです。
そうした意味では、カウンセリングやマッサージや瞑想が治療である程度には、いや多分それ以上に、セックスは治療行為でもあります。セックスは整体、マッサージ、呼吸法、精神集中などを含む総合的な心身技法であり、相互治療=自己治療です。実際、気の合ったパートナーと肌を触れあって寝ているというだけで、とくに意識的なマッサージもやらず、また性器接触によってストーリーを完結させようとせずとも、互いに著しく元気になることは経験的にもご存知でしょう。
よく知られるように、治療としてのセックスに注目したのはドイツの精神分析学者ウィルヘルム・ライヒです。フロイト派の異端というにはあまりにも遠くまで行ってしまったライヒは、心のこわばりが身体のこわばりと対応し合っていることを発見しました。ユングの「ベルソナ」とある面で対応する、自然な生命の泉の発現をさまたげる「こわばり」の体系を、ライヒはより直接的に「筋武装(筋肉の鎧化)」とよびました。
簡単にいうとライヒは、性エネルギーとしてあらわれる生命力が過剰に蓄積されると筋武装が昂じて心やからだの病気になっていくので、セックスによるオーガズム(性エネルギーの爆発的開放としての)こそがそれを治療する決め手だと主張したのです。
ところが現在人は重武装になりすぎて、次第にオーガズムを体験できなくなっている。そのためのレッスンとして、ライヒは、ベジトセラピー(植物神経系治療法)とよばれる、マッサージやふたりくつろぎ等に通ずる「ふれあいのトレーニング」を提唱しました。新生児へのベビーマッサージ、ゲシュタルト・セラピー、プライマル・セラピー、あるいはいわゆるボディ・セラピーのたぐいはライヒなしに出てこなかったかもしれません。
しかし、このような「ふれあいのトレーニング」で筋武装を解体しても、オーガスムを得るのにふさわしい相手がいなければ、なんの意味もない。だから禁欲は拒否されるだけではなく、あるパートナーで満たされないなら、別のパートナーに向かってもやむを得ない。しかし、このようなライヒの考えは、社会の善良たちと衝突を生むことになります。
「性の逸脱」はどのような社会でもいつの時代でも、それは善良にとってゆゆしき「問題」であるようです。 が、はたして・・・。

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