
VOl.4 無常観に生きる / 人は変われる
このようなコラムを書いていると、たまに人生相談のようなメールをいただくことがあります。「わたしは変われるのでしょうか?」と。そういえば、友人と酒を酌み交わしながらも、そんな話題になったことがありました。人は変われるのだろうか、と。ぼくは即答します。人は変われるよ、ってね。今日はちょっと難しいお話に、なります……ついてきてね。
平安末期から鎌倉にかけて活躍した鴨長明が著した方丈記。「行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし……」で始まるあれです。ぼくは古文はどちらかというと苦手でしたけど(ハイ、赤点でした)、この一節はなんとなく好きで覚えていました。これまでも幾度か、コラムで拝借したことがあります。
これは、仏教でいう「無常観」を表現した一節だというのが定説ですけど、深く意味がわからなくても、文字から浮かぶイメージで、なんとなく無常観って何なのかが感じられるのではないでしょうか。「すべてのものは移り変わり、一定ではない。栄えれば必ず滅びる。人生は虚しく儚いものだ。現世の事柄に執着するのは無意味である」といった内容の教えが無常観だそうです。
これだけを読むと、なんか難しそうだなぁと感じられるかもしれませんね。すべてのものは移り変わってゆき、いずれは消えうせてしまう。人生ははかない。執着するのは無意味。だなんていわれると、どことなく「それって、あきらめろっていうこと?」と、少々すねてみたくもなります。けれど、じつはそうではないんです。「あきらめの気持ちではなく、もっと大切なものが他にあるんだよ」というのが無常観の教えであって、それは、それぞれの「心のなかの安らぎ」にこそあるのだと説いているんです。さぁ、難しくなってきましたっ。
そこで、話は少々横道にそれますが、ぼくは、家族でレストランに行くと、いつも同じような料理を注文しています。そんなぼくをみて妻は、「メニューには色々あるんだから、もっと他のものを食べればいいのに」といいます。また、旅することがわりと好きなんですけど、どこか気に入った場所があると、しばらくは繰り返しそこを訪ねます。これまた妻に、「日本は広いんだから、もっと他にいいところがあるでしょ」と言われます。けれどぼくは、レストランでいつも同じものを食べ、気に入った場所を目指して旅するんです。
いまの日本には、情報が溢れかえっています。何かをやろうと思ったとき、選択肢が無限にあるのがいまの日本だともいえるでしょう。人生を歩んでいくときに、道が限られていた昔とは大違いです。それはある側面では、確かに文化的で進化の結果でもあるのでしょうけど、反面、数限りない選択肢から本当に自分にあった道を選ぶという困難を生み出しているとも言えるのではないでしょうか。
人間には「欲」という心がありますよね。欲は選択肢が多ければ多いほど、人の心を惑わせます。仮に道がひとつしかなかったならば、誰も戸惑いはしないはずです。世に見られる心の問題の多くも、もしかしたら、その辺に鍵が隠されているのかもしれませんね。
さて、人は喜怒哀楽を感じながら生きていきます。楽しい人生を送る人もいれば、なんでこんな人生になってしまったんだと嘆く人もいるでしょう。その「喜怒哀楽」ですけど、感じているのは、他でもない自分自身ですよね。それでは、一体なにを基準にして、その「心」は喜怒哀楽を感じるのでしょうか。おそらくその多くは、あの「溢れかえった情報」の中から基準を見つけ出しているのではと、ぼくは思うんです。そうではなく、あくまで自分自身の心の中に、喜怒哀楽の源をみるべきではないでしょうか。
ここで話を戻します。行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。万物は常に変化しながら流れてゆきます。自分という存在も、変わってないようにみえて、じつは変化しつづけているんです。けれど、その変化に気づかなくさせているのは、ほかでもない自分自身なのではないでしょうか。人には本能的に、変化を望まない部分があります。それが、変化しようとする自分自身を妨げてしまっているのかもしれませんね。やっぱり難しいですね。書いてても脳みそぐちゃぐちゃです、汗。
自我に目覚めてください。自分という存在をよく知り、それを味わい、そして、それに見合った幸せを求めてみてください。周囲の幸せに振り回されず、自分自身の幸せを見つけてください。それまでとは違う何かが自分のなかに見えたとき、あなたは変化するはずです。それを大切にしてください。人は変われるんですよ。

このコンテンツは女性向けアダルトショップ☆ラブリーポップ☆が運営しています

このサイトを友達に教える!

>> BACK
(C) LOVELY POP