
VOl.11 愛の探し方
誰かを好きになると、その人に自分のことを知ってもらいたいと思うようになります。そしていつの日か、自分のことを好きになって欲しいと願いはじめ、愛して欲しいと思うようになる。これは人としてとても自然なことですよね。けれど、大好きな人の愛情を得られなかったり、恋人や夫婦という間柄になってから愛を見失ってしまったりと、持続する本当の愛を手にすることは難しいようです。
一般的には、「自分が好きになった相手に自分を好きになってもらう」というのが、愛の探し方のスタンダードでしょう。その人に好きになってもらうために自分をアピールする。それが相手の嗜好にあっていればいいですが、人間は十人十色、なかなか思うようにはいきません。見事にはまってくれることもあれば、本意でないのに相手に合わせて違う自分を作ってしまうときもある。
確かに、好きな人と一緒になれるのが、一番幸せに近いのかもしれません。人と物を同じ土俵で語るのは失礼ですけど、自分の身の回りを、服や小物など好きなもので揃えるのって、やはり心地良いですからね。されど、それはあくまで、あなた自身の「好み」を中心にした場合の幸せ、ですよね。相手があなたと同じようにそれを幸せだと感じているかはわからない。
そこでもうひとつの探し方が「自分を好きになってくれた人を好きになる」という道です。心の底から自分を愛してくれる人と一緒になるのですから、そりゃーもう恵まれた幸福環境が保証されたようなものでしょう。と思うんですけど、その人を本当に好きになれるかどうかわかりませんよね。いくらその愛が確かなものだとわかってはいても、こっちにも好き嫌いがあります。「はい、わかりました」と受け入れられるものでもないのが、人間の愛の難しいところだと思います。
でもね、これはとても重要なポイントだと思うんです。少し深く掘り下げてみますけど、自分を愛してくれる人というのは、自分を外から客観的に見て理解し好きになってくれている人ということですよね。常に偽りの自分を見せている場合は話が全く異なってきますけど、良い面も悪い面もひっくるめて自分をストレートに見て受け止めてくれている愛であるなら、好き嫌い云々を言う前に、その人の人格を自分の人生という土俵の上にのせてあげるのも、ぼくは大切ではなかろうかと思うんです。
よく「自分のこういうところが嫌い」という声を耳にします。誰にでもひとつやふたつはあるでしょ、そういうところ。「わたしはここがこうだから人から愛されない」という風に、自分が愛されない理由を自分で判断し決めてしまっている。それじゃ、そんな自分を変えられるかというと、そういう人に限って自分の変え方を知らず右往左往しているだけだったりします。
人間関係というのは面白いもので、男女関係に限らず、あらゆる場面で「凹と凸」という組み合わせがベストマッチであったりするんですよね。つまり、自分を平らにしてしまったら、言い換えると、欠点の無い人間にしてしまったら、そこにすっぽりと組み込んでくる相手も激減してしまうのではないでしょうか。「持ちつ持たれつ」という言葉がぼくは好きなんですけど、持ってばかりじゃ駄目なんです。たまには相手に持ってもらうことも必要。そうやって、人と人とは強い絆を深めていくのですから。
そう考えたとき、自分の欠点を「そこが好きなんだよ」と言ってくれる人は、まさに神様のような存在ですよね。そう、自分で「嫌だな」と感じる自分の一部も、その人にとっては快適であるということを、まず知るべきでしょう。そして、そういう人との関係のほうが、より「本来のありのままの自分」でいられるわけですし、あなたにとっても快適な環境を約束してくれるという見方もあるのではないでしょうか。
とはいえ、そこからふたりの愛を見つけ出すことも、そう簡単な話ではないと思います。愛ってね、じつに長い道のりがそこにはありますよ。だから、人生の終わりに「失敗した」と思う人も少なくないような気がします。あまり打算的なことをこういう場で言うのも興ざめするんですけど、よりリスクの少ない道を選ぶということは、知性を備わった人間にとって、やはり大切だと思うんです。
愛は探すものなのか、はたまた貰うものなのか。 一度考えてみる価値あると思いませんか?

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