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心が変われば身体に変化がおこる! 風子さんがオーガズムをえるまでの記録

幼稚園で助手として働くことに

 


長い間つきあった彼と別れ、いい子ちゃんで生きてきた親元からも自立し、 新しい自分の人生を切り開こうと、一人暮らしを始めてから半年後くらいのことだ。

ある朝起きると、ふと「あ、会社をやめよう」と思った。 ずっと日記をつけていて、もう会社にいるのがたまらなくいやになってきたからだった。 組織、上司、得意先、なんかの間で、がんじがらめになって苦しんでいる自分がいた。 もういいや、やめよう。と思った。 やりたいこともあった。

それまで心理学の本を読むうちに、子どもの頃の経験がその人にとって、 人生を左右するものだと知ったので、子どもの教育や保育関係の道に進みたいと思った。 私のように親や大人の価値観に縛られて、苦しんでいる子どもの役に立ちたいと強く思った。 子どもの時くらいはもっと自由に遊ぶべきだ、という信念を持った。

そしてまた本屋で立ち読みをしていると、ある本に出合った。 実在する幼稚園の園長先生が書いた本だった。

子どもの可能性や、子どもが本来持っている力を知っている人だというのがわかった。 あたたかい人間的な目で保育をしているのが文章から伝わってきた。 すぐにその幼稚園を調べたら、なんと住んでいるところから電車で10分くらいのところにあった。 これは運命に違いない、と思い、電話で会って欲しいと連絡をとった。

園長先生は『こんな風に本を読んで話を聞きたいといってくる人間は、 今までで初めてだ!』と手放しで喜んでくれた。 そしてなんと『この幼稚園で助手として働いてみないか』と言ってもらえた。 すぐさまお願いして、面接をして採用が決まった。 自分でも、(これはもう天職に違いない!)と思っていた。

保育士の資格は、大学の通信教育でとることにした。 これで現場を知り、あとは資格がとれれば2年後には先生だ、と思っていた。 不安はまったくなかった。

会社にやめることを申し出て、数ヵ月後やっとやめられた。 引継ぎや後任といったもので手間取ったからだ。 でも、何年か働いてたおかげで、貯金がたまっていた。 お金の心配もせず、好きなことに挑戦する自分が誇らしかった。 ニコニコ笑いながら退職していった。 他の人には、さぞ不思議だったに違いない。

大体、私は他の人に自分を理解してもらえないのが常だった。 私自身が自分の思っていることを素直に話せないこともあるが、 私がそれまで生きていた世界では、本音を言うなんて、人生について話すなんて、 とてもかっこ悪いことだった。 結局、人生ってこんなものよね、という結果で話が終わるだけだった。 あきらめるが勝ちってやつである。

そんなのもういやだ、と思った。 あきらめないで生きてやると思った。 彼と別れるとき一度死にそうになったあと、ようしやってやるぞ、 こうなったら生き抜いてやるからね、と思った。 そして、自分がやりたいことをめいいっぱいやろう!と決意したっけ。 女は強いや。 私ってすごいや。

会社をやめてからその幼稚園でバイトをはじめた。 その幼稚園は、自由に子どもを遊ばせて創造性を伸ばすことを目標にしていた。 バイトで入った素人の私にも、子どもたちが生き生きと遊んでいるのがわかった。 でも、正直まったく違う世界なのでとまどいも多かった。

まず、子どものパワーがすごい。 相手をしていると、ヘトヘトになってしまう。 正直言って疲れきっちゃうんである。 幼稚園というシステムも、とても窮屈だった。 次から次に行事があり、担任の先生はとてもハードな仕事をしていた。 子どもが帰ってから、後片付け、明日の用意、行事の準備、職員会議、書類作成、 と営業の仕事よりもハードな仕事だと思った。 子どもの保育に向ける先生方の情熱はすばらしいが、とても体がついていけない。

働き出してしばらくして園長先生から、

「あなたは決まった仕事や与えられた仕事はできるんだが、自分で考えて動けない」と言われた。

「常識がない」とも言われた。

「暗い」とも。トホホ・・・。

もうどうすることもできなくなって、私は周りの人と話すこともなくなっていった。 何をしても何を言っても、ダメダメダメ、だからだ。 もういいや。と思った。

今振り返ると、それまでの私は勉強や仕事は、与えられた課題を的確にこなすのが一番! っていう生き方をしてきたもんだから、そういう批判や指摘にめっぽう弱かったのだなあ。

また、保育っていうのは子どもの感情を受け止めて育てることが大切なのに、 私は自分の感情を押し殺して生きてきたので、そういう場面になると逃げたくなった。 感想とか求められるのが苦手だった。 感想って何?ってなもんだった。

子ども達のケンカもとても苦手だった。 見るのもいやだった。 なぜなら私が人と本気でケンカしたことがなかったからだ。 ケンカなんてしないで仲良くしなよ、と思った。 でもその幼稚園では子どもにとってケンカというものは、自分の意見をはっきり相手に言えるようになるための、 そして相手の意見もしっかり聞くための練習とみていたので、ある程度はケンカさせていた。

私自身は、人とケンカできない人間だった。 そういえば別れた彼とケンカした時も、自分の意見を言えずに黙ることが多かったなあ。 あの時、自分の思っていることを言葉にして相手に伝えることができたら、 もっともっと彼とコミュニケーションできただろうなあ。

子どもたちの中には、少しキレている子もいて、こわかった。 主任の先生はその子が暴れると暖かく抱きしめたりしていたけど、私にはとてもできなかった。

当時の私は、とにかく劣等感のかたまりになっていた。 そりゃあそうだ。それまでの私は成績優秀なほうで、スポーツもそこそこできて、 自分は人よりも何でもできる!、みたいな自信で作られていたからね。 そして、もの心ついてからずっと抱えていたプライド&大きすぎる自尊心ってのが、 この幼稚園でガラガラと崩れ去ったのね。

今はあれでよかったと思ってる。 生きていて無駄なことなんて何もないんだな、って思ってる。 人を見下したり、相手と心から寄り添えないようなプライドや自尊心なんてないほうがいい。

でも、当時は本当にひどい状態で、一人で勝手にいじけていたっけ。 そんな感じで1年ちょっと幼稚園で働いて、卒業式が終わり園内の掃除や整理も終わり、 とてもお世話になった園長先生や主任の先生ともお別れなのに、私はいじけていた。 もうどうでもいいや、と思った。 あちらもそう思っていたと思う。 あっけなく無表情にお礼を言って、退職した。

でも、あの時は私にはああ行動するほかはできなかった。 あの頃の私は、私なりに懸命にやっていたのだなと、今思う。 過ぎてみないとわからないことって、たくさんあるものね。




Stanley

桜庭風子

セクシャリティーに関するコラムニストの卵、 現在35歳。 30歳をすぎてからいきなり人生が変化し出し、我ながらとてもダイナミックな体験をしてきました。 もっと多くの人が、セックスや性と自然に触れ合えるようになることを願っています♪


TAGS: 恋愛とセックス


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