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心が変われば身体に変化がおこる! 風子さんがオーガズムをえるまでの記録

親にほめられる「いい子」が、ばからしくなった

10年以上つきあった彼とついに別れることになり、自分が望んでいたこととはいえ、 私の心臓はパンクした。 孤独の恐怖感でパニックになった。

これからどうしたらよいのか、他の人にどう見られるのか、そんなことで頭はいっぱいだった。 (今思うと、私はすっごく人の目ってのを気にする人間だったのだなあ) そして彼と別れた翌日、会社を休んで家で休んでいた。

夕方ごろ、母親と話していて、ポロッと 「彼と別れたから。」というと、 母親は、大きい声で 「なにやってんのよ、あんたはー!!」と怒鳴り出した。 はあー、なにどなってんのよ。

私は、彼と別れたのが辛くて、体壊してるのに。 母親は続けてこんなことも言った。 「10年以上もつきあって結婚できないなんて、あんたなにやってんのよ。 私があっちに文句言ってやろうか。」 だって。 あほか。おまえさんは。

私が「私のことが怖いらしいから、文句言ったって無駄だよ。」というと 母親は、 「ああーそうね。あんたはお父さんに似て、突然ヘンになるときがあるから。」だって。 今、こうやって書き出すとほとんど笑い話だが、当時は真剣だったのだ。

ばかやろう。

ふざけんな。

こんな家出てやる。

今まで親にほめられる「いい子」でいたのが、急にばからしくなってきた。

この後数日間は、我ながらすごいエネルギーで行動していた。 一度決めたら早いはやい。 3日後には、会社に近い駅でアパートを借り、家を出ることにした。 もちろん部屋を借りたり、契約したりっていうのは、生まれてはじめてだったが、 とにかく自分でやろうと思えばできるのだ。

父親はもうあたふたするばかりだった。 つきあっていた彼はマザコンだが、私はファザコンだったのだ。 父親は私に出て行かれるのが、とても悲しいらしく、何度か話し合った。

でも、母親に話したようなことを言うと、 「ああ、おまえは母さんに似て、ものの言い方がキツイからな。」 だって。 あんたたち、似たもの夫婦だよ、本当に。トホホ(><;)

私はといえば、すっかり新しい生活に向かってウキウキしていた。 心臓バクバクもおさまっていた。 ああ、これで晴れて自分の人生を歩き出せるって、ときめいていた。 春のあたたかな日差しが気持ちよかった。 今までグレーがかって見えた世界が、まるで魔法が解かれたようにキラキラと輝いて見えたっけ。

新しい冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、電気釜、なんかを買い揃え、新生活を味わった。 『一人暮らしの人のための料理』という本を買って、作ってみた。 これが意外とおいしく作れた。 ご飯をたいて、ほうれんそうをゆで、お肉を焼いて、夕飯を作った。

今まで恥ずかしい話だが、実家では夕飯作りなんてやったこともなかった。 世の中では、親に甘えている、といわれるかも知れないが、違う。 やらしてもらえなかったんだ。 そういう家庭は、実はかなり多いと思う。

私がなにか作るとするならば、母親が作らないようなケーキや、ベトナム料理とか フランス料理とか外国の料理くらいだった。 それはなぜか? 和風の家庭料理なんて作ろうものならば、すぐさま母親にけなされ、 あんたはまだまだダメねえ、と罵られ、 彼とのデートにお弁当なんて持っていくときには、 うるさいくらい干渉して、からかわれ、さんざんな目にあうからだ。 そんな目にあうくらいなら、初めから作らない。

今、思うと母親は、自分の料理に自信がなかったのだろう。 自信があれば、子どもにも自然に教えることができるだろうし、 子どものつたない料理をけなしたりはしないだろう。 今も、必死で家の料理を作っているが、自信はなさそうだ。

そして、彼と別れ、両親とも決別し、ひとり暮らしを始めた。 しばらくは実家にも帰らないつもりだった。 そして、両親以外で、本当に仲のいい夫婦を見つけて、相談に乗ってもらおうと思った。 なんでそんなことを考えたかーというと、前に読んだ本に書いてあったからだ。

今、思うと私は何か、確実に信じられるものを探していた。 人生をどう生きるか、どう生きたらいいのか、という教えを求めていた。 それが、人によっては宗教になるのだろうが、その時の私は本が頼りだった。 ある本の中では、人生や人間関係の真理を説いていた。 自分には、感謝の気持ちや心で感じること、直感(カン)を信じること、などが欠けていることに気づかされた。

そして、引越ししてからなんと2週間後には、勇気を出して、元上司に連絡をとった。 新入社員の頃、数年間だけ上司だった人だ。 その人と奥さんはとても仲がよく、年齢も50代くらいなのにお互いを下の名前で呼び合ったり、 一緒にキッチンに立って料理や後片付けをしている、というウワサを聞いたからだった。 そして、部下を呼んではホームパーティーをしたり、と、とても暖かい人だとも聞いていた。

私は新入社員の頃は、ほとんどその上司と話したこともなかったのにいきなり手紙を出した。 「今、私は10年以上もつきあった彼と別れて、生きるのがとても辛いのだが、 親にも相談できず、どうか相談に乗ってほしい」と。

今思うと、よくこんな唐突な頼みごとにのってくれたのかはわからない。 それでも、その上司の人は、居酒屋で私のグチグチした話を2時間以上聞いてくれた。 今も申し訳ないなあと思う。 そして、ありがたいなあと思う。 数日後、会ったこともない上司の奥さんから、電話をいただいた。

家に遊びにきたら?とのことだった。 とてもうれしかった。

私は、他の家の大人にかわいがってもらった覚えがほとんどない。 親戚ですらあまり縁がなく、親以外の大人に親近感などはなかった。 周りの大人は、親以外の大人はすべて、信用できる人ではない、と親から たたきこまれてきた。 家族だけが唯一絶対なのだ、と。

今思うと、それは親の考えだったのだなと思う。 親自身がそう思っていたから、親自身が周りの人を信じないで生きてきたから。 私の中には、自分の家族はけっこう頭もいいし、経済的にも恵まれていて、 すぐれているという、意識があった。

そしてまた、自分の親夫婦だって生活共同者みたいな感じで、仲がいいわけでは けっしてないんだから、他の夫婦もきっとそうだろう、と思い込んでいた。 実際、友人の親も似たような関係の夫婦が多かった。

でも、違った。

何十年も生活を共にしながらも仲良くしている夫婦が、ニコニコしながら暖かい夫婦が 現実に目の前にいた。 それは、長い間のことだから、いろんな危機を乗り越えてきたのだろうが、 とにかく目の前には暖かい家庭があった。 だんなさんがスポーツクラブに行った帰りに、奥さんにコンビニで甘いものをおみやげに 買ってくるなんて! 夫婦で仲良く一緒に食事の後片付けをするなんて!

自分の家では考えられないような、うらやましい光景を実際に見た。 私もこんな夫婦になりたいと思った。

それから半年ほど、そのご夫婦の家に度々遊びに行き、いろんな話をしたりして過ごした。 まるで子どものように接してもらった。 仲の良い夫婦は、自分の家族以外にも優しい、っていうのは本当なんだな、と思った。 ありがたいことだった。 そこの家には、私と同じくらいの娘さんがいた。 とてもうらやましかった。 彼女がはつらつとして、まぶしいくらいに輝いてみえた。

また、そのご夫婦が日常会話の中で、ごく普通に自然にセクシャルな話を交わしていたことも驚きだった。 奥さんがウフフと笑いながら、「もうあなたは私の体には飽きたんでしょぉ〜♪」とか 旦那さんをからかったり、 テレビでお色気シーン(ふ、古い表現だね・・・)が流れると、「オッ!」とか言って、 家族揃ってテレビをジッと眺めて楽しむと聞いて、心底驚いた。

だって私の実家では、少しでもHな場面が流れたら、母親は台所へ逃げ、父親はテレビのチャンネルを変える ような感じだったから。 Hシーンが流れるとチャンネルを変えなくても、家族団らんの場には 普段とは違う緊張感がただよっていたから。

そんな家庭で育ったものだから、

「性に関しては触れるべからず!」

「セクシャルな話は人前ではせず、隠すべき候!」

「セックスに関することを気軽に自然に楽しむなんて考えられぬでござる!」

っていうような意識を私が持ってしまったのも仕方ないことだったのだな、と今思う。

自分の中にこういった意識があったおかげで、実際に彼とセックスしても、 心から気持ちいい、触れ合って楽しい、なーんていうことにはならず、 自分でも気づかないうちに【罪悪感】だけが積もっていったのね。 だからセックスの回数を重ねても、ぜんーぜん気持ちよくはなくって、 しまいには痛みを感じるようになっていったのだった。




Stanley

桜庭風子

セクシャリティーに関するコラムニストの卵、 現在35歳。 30歳をすぎてからいきなり人生が変化し出し、我ながらとてもダイナミックな体験をしてきました。 もっと多くの人が、セックスや性と自然に触れ合えるようになることを願っています♪


TAGS: 恋愛とセックス


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