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心が変われば身体に変化がおこる! 風子さんがオーガズムをえるまでの記録

1冊の本との出会いが生き方を変えた

 


これを書くに当たって、どこまで書いたらいいのか、正直言って迷っている。 やっていくうちに、なんとかなるだろうとも思っている。 今までもそうだったから。 どこから書こうか。

私の人生が変わっていったのは、30歳になった翌年の1月だった。 年があらたまったのに、私は何も変わらない毎日を送っていた。 私は、ある会社で外まわりの営業をしていた。

得意先をまわる仕事だったので、しょっちゅう買い物はするは、喫茶店で休むは、 かなり自由に仕事をしていた。 あるとき、営業の合間に大型書店で立ち読みをしていた。

その時は確か、心理学のコーナーである本を立ち読みしていた。 その一文を読んで、私は、私の人生は変わった。 『あなたの幸せを本気で応援してくれる人が、あなたの運命の人だ。』 と本の中に書いてあった。

書店の店先なのに、涙が出た。 なぜならば、その時つきあっていた彼は、私の幸せを応援してはくれていなかったからだ。 ああ、だから、私は彼と長い間つきあっていても、しあわせだと感じなかったのか。

なにかが違うと感じていながら、なにが違うのかわからなかった。 これだったんだ。 気づいてしまった。

私は、高校の頃から、その彼とつきあっていた。 彼とは10年以上つきあったことになる。 でも、なんとなく彼とは結婚してもうまくはいかないだろう、と思っていた。 もう最初の頃からだ。

今思うと、自分の中に、「つきあっても、結婚してもうまくいかない」という 思い込みを持っていたのだと思う。 幼い頃から、両親を見てそう思い込んでいたからだ。

本屋でその本を買い、家に帰ってから部屋で泣きながら読んだ。 悲しかった。みじめだった。

今まで、私たちは同級生の中では一番長くつきあい、友人からは 「よくあきないねー」とか「でも仲いいのはいいよね」などと 言われてきたけれど、 私自身は、なんだかよくわからずに長くつきあっている、と思っていた。

ああ、でも、私たちは似たもの同士だった。 お互い優等生同士、スポーツもけっこうできる。 友人もたくさんいる。 音楽や映画などの話題もぴったりだった。 お似合いのカップルだったんだ。

書店でその本を買って家に帰り、その日から本に書いてあったやり方で日記をつけだした。 事実と感情をわけて日記を書くというやり方だった。 それをすると、自分でもわからなかった自分の感情がわかるという。

私は早速、大学ノートに縦線を引いて、その日にあった出来事を左の欄に書き出した。 例えば、「会社の同僚からランチに誘われて一緒にパスタランチを食べた。」と事実を書く。 その右側には「なんだか楽しくて、おいしかった」とその時に浮かんだ感情を書く。 そして、3日後にもう一度日記を見直したときに、日記を書いたときの感情と違っていたら 赤ペンなどで横に書きたすのだ。

「あのときは楽しいと思ったけど、今はそうは思わない。なんだかうわっつらな会話で、 話を合わしていただけで、本当は楽しくなんてなかった」というふうに。

これを繰り返していくと、いかに自分があまり好きではない人とたくさんの時間を過ごしているかに 気づくことができ、 「なんだ、もっと好きな人を探そう♪もっと自分の好きなことに時間を使おう♪」と思えるようになった。

また、人から小さな親切をしてもらったことは、あとから想い起こすと自分では忘れているようでも、 実はとってもうれしかったのだなあと気づく。

そうすえると「ありがとう」とか「ごめんなさい」といった言葉も、知っている人はもちろん、 街中の見知らぬ人に対しても自然に言えるようになるんである。 頭ごなしに「感謝しなさいっ!」「きちんとあやまりなさいっ!」なーんて教えられるよりも、 自分の素直な気持ちに従うほうが、感謝の気持ちを自然に表せるようになるんだ実感した。

あと、口で言っていることと、心で思っていることが違う人も、たくさんいるんだなと思った。 というか、口では「ありがとう」って言ってるのに、心ではべつになーんとも思ってない、っていう口調が 耐えられなくなるんである。

本音で話していない人とは話も続かなくなってしまって、正直それまでの友人とは今はつきあっていない。 今、私の周りに居る人とは本音で話せるから、とてもラクで生きやすい。

私はそれまで、小さい頃から無表情といわれてきた。 今で言うなら「クールビューティー」ってやつかな。トホホ。

自分の感情を押し殺して生きていると、そのうち自分で自分の感情が わからなくなるってことも、その本の中で初めて知った。 ようは、自分が今、楽しいのか嬉しいのか、怒ってるのか悲しんでるのか、 生きるのに大切な感情が、自分でわからなくなってることに気づいた。

で、とにかくその日にあったことを書き出してから、その横にその時に感じたこと、 悲しいとか、くやしいとか、うれしいとか、そういった感情を書いていった。 そういった日記を書いていくうちに少しずつ、楽しいときはめちゃくちゃ楽しい、 悲しいときはオイオイ泣く(一人で部屋でね)というふうに、私の無表情の仮面ははずれていった。

そして、母親からの嫉妬、というものも痛感した。 その本の作者は、なぜか母親を目の敵にして、攻撃する人だったので、 当時、その人の本をバイブルにしていた私は自然と母親に敵意を持った。

日記をつけだして数週間後、彼とつきあっていることが次第にとても苦痛になってきた。 それまでは、毎週日曜の午後に電話をかけあって、かったるそうに、 「どこいくぅー?」 「どこでもいいよー」などという、悲しいつきあい方をしていた。 週末に少しだけ会って、とりとめのない話をして夕飯を食べて帰る、というパターンだった。

彼とはもう数年前からセックスはしていなかった。 初体験は彼とだった。 たしか19歳の時だった。 私から彼を誘ったんだっけ。 私は早くセックスしたかった。 セックスってものを体験してみたかった。

でも、初めてのその時は痛くて痛くて入らなかった。 ただ、彼と裸になって抱きあって、ああこれで私も女だと誇らしい気分になったのを 覚えている。 そして、その何ヶ月かあと、彼と一緒に旅行に行って、やっと赤い血をだして初めての経験を終えた。 あの時、布団についた私の血を彼がふいてくれた。 ああ、やさしいなあと思った。

でも、同時に夕方の薄暗い中、初めての経験をした後、なぜか私の心はどんよりと曇っていた。 彼のこと、あんまり好きじゃあなかったからかな。 それとも、セックス自体に罪悪感を持っていたからかな。

彼とはそれから、かなりの回数セックスした。 学生だったけどバイトもけっこうしていたので、ラブホテルに行ってはセックスした。 でも、あんまり気持ちよくはなかった。

キスしたり、なめられたりするのは好きだったけど、いざ挿入になると、すごく怖かった。 かなりな恐怖感があった。 特に入れてから、少し気持ちよくなってきて、イク!って時に、死にそうになる感じがした。

とても恐ろしくてそれ以上はできなかった。 まるで殺されてしまう恐怖、死んでしまうような恐怖があったんだもの。 そういえば途中で、彼をけっとばしたこともあったなあ。

そうしてるうちに、だんだんと挿入するのも苦痛になってきた。 痛みで嫌がる私に、彼はなにかクリームをぬれば入るかもと言って、買ってつけてみたけど、 それで挿入しても気持ちよくはなくて、かえって、 「こんなのつけてヤッてる自分ってみじめだ。」っていうふうになった。 いろいろと体位を変えてみたりしたけど、すぐ飽きた。

そりゃーそうだ、セックスって心と心のつながりだもの。 いくら机の上だろうが、窓のところで立ってやろうが、入れればいいってもんじゃない。 2人の心がホッカホカに幸せにならないセックスなんて、意味ないもの。 ラブローションだって媚薬だって、本人がムフフって楽しんで使わなくちゃ、 ぜーんぜん意味ないもの。

でも、その頃の私にはわからなかった。 セックスってなんだかとても難しいもんだなー、って思っていた。




Stanley

桜庭風子

セクシャリティーに関するコラムニストの卵、 現在35歳。 30歳をすぎてからいきなり人生が変化し出し、我ながらとてもダイナミックな体験をしてきました。 もっと多くの人が、セックスや性と自然に触れ合えるようになることを願っています♪


TAGS: 恋愛とセックス


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