TABOO ~タブーとは
禁忌とは何なのか…現代に生きる私たちが取るべき姿勢とは一体どのようなものなのか。
前回申し上げたように、禁忌とは畏怖すべきもの、聖なるもの、侵さざる領域を守るために、こうした欲望を触発するものがタブーの対象に選ばれるんですね。
人間はこうした制度・慣習を作っては廃絶してきました。その中でずっと続いているものもあるし、時代の変化によって制度が変わったためにその必要性がなくなり、廃れていったものも沢山あるでしょう。
自分の生まれ育った共同体が持つタブーというのは非常に影響力があると思います。ましてやその禁忌が法律と結びつき、社会的に個人を拘束する力を持っているならなおさらです。
現代の日本にいるとそうした強力な拘束力を持ったタブーというのはあまり想像がしにくいと思いますが、イスラム教やユダヤ教など厳しい戒律を持った宗教の国に住んでいる場合、国際的な人権の視点では信じられないことで国に命を奪われることもあるのです。
しかしそれほどの影響力を持っていたとしても、その国から亡命し、他国の住人となってしまえば、その禁忌からは逃れることもできるのです。
話が壮大になってしまいましたが、つまり何が言いたいかといいますと、今自分を縛っているタブーも決して絶対的なものではなく、それに大変な違和感や不快感を感じるのであれば逃れることも100%不可能ではないということなんです。
しかし逆を言えば、絶対ではないからこそ、他者が守っている禁忌を個人的な思想や育った共同体の価値観によってやめさせようとしたり、裁いたりすることも本来ならばすべきではないのかもしれません。
自分があるタブーを正しくないもの、必要性が感じられないものと判断したとしても、それを非常に重要なものと考え、今まで守ってきた伝統を何よりも重んじ、これからもずっと守っていきたいと考えている人々もいるんですよね。
自分が守りたいもの、他者が守りたいもの。
それぞれの領域を重んじることが、このグローバル社会において大切なことなのだろうと、わたしは思います。